世界遺産の「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」に行ってきた(おそらく過去最長)の詳細

世界遺産の「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」に行ってきた(おそらく過去最長)
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記事タイトル 世界遺産の「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」に行ってきた(おそらく過去最長)
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【973日目】クラクフ(2018年9月12日(水)のおはなし)はいこんにちは。どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。ぼく人類のダークサイド博物館に行くのが好きなんですけどね。なんで好きかというと、こう、あれですよ。ダークサイド博物館で紹介されている人類の行った行為って酷…… more いじゃないですか。および非道いじゃないですか。あれどの時代のどんな人種の人が見たとしても「これは酷い」および「これは非道い」って言うと思うんです。でも実際そういう行いって歴史上何度も繰り返されていますよね。戦争と同じ。そういう事がありました、そういう事したらいけませんよね、という歴史の教訓があった上で、というわけで始めましょう、となるわけですよ。アホですよね。あぁいうところに展示されているものって、「こういうことがありました」「こういう被害がありました」というところは当然説明されているんですが、意外と「なぜこういうことが起こったか」という説明って薄いんですよ。あの歴史的経緯とか、当時のバックグラウンドとか、まぁそのぐらいは説明されてますけど、それって直接的な原因じゃないですよね。トルコにおけるアルメニア人の虐殺(トルコはあったとは言ってない)についての博物館、あれエレヴァンにあったんで行ったんですけど、例えばこれで、「当時トルコ領内にたくさんのアルメニア人が住んでいました」「国家はトルコ人が主導的立場でありアルメニア人は少数民族という立ち位置でした」なので「トルコ人はアルメニア人を殺しました」。とはならないでしょう?なにその三段論法って話ですよ。マイノリティ抱えながらも仲良くとまではいかずとも、少なくともジェノサイドせずに過ごしている国家なんかいくらでもありますよ。違うんですよ。根本的な原因はそこじゃない。そういう歴史的・文化的・地理的バックグラウンドは、もちろん要因のひとつではありますが、それが直接的な理由ではないはずじゃないですか。まぁそういう根本的な理由を書けないのも理解できますけどね。例えばさっきの例で、アルメニアの虐殺博物館で説明書きに『トルコ人は国家の主導的立場であることを、自分たちが国内で1番偉いということと勘違いしてしまいました』とは書けないでしょう?『当時トルコ人はアルメニア人が嫌いだから殺しました』とも書けないでしょう?『当時トルコ人は国家の主導的立場にあり、その立場的優位性を利用しマイノリティであったアルメニア人の男は殺し女は犯しました』なんて絶対に書けないでしょう?その博物館そのものが新たな揉め事の元になりかねないでしょう?でもさぁ、思うんですけどねぇ。そういう人間の本質を理解することこそ根本的な解決になると思いません?「ジェノサイドがありましたー」「ジェノサイドは悪いことですー」「よーし、おれはジェノサイドしないぞー」っていうのは、対処療法じゃないですか。その上で、「ジェノサイドはしないけどムカつくあいつの靴を隠してやろう」って平気でする動物なんですよ?人類というのは。その教訓、さっそく生かされてないじゃないですか。あの場所は「ジェノサイドをしてはいけません」という事を訴えるだけの場所でいいんですか?違うでしょう?じゃあ何なの?ジェノサイドほど酷くおよび非道くない事ならやってもいいってこと?違いますよねぇ?そういった、歴史から学ばない、学べないという事実。それだけの事がありつつも本質を突かない、突けない博物館。そしてそれらを突き詰めていった本質の本質の部分、人類ってほんま救いよう無いあほ。というのを実感できる場所なんですね。ああいうところって。そうやって「人類」という大きな大きな主語を蔑み、侮り、嘲ることがこう、、、面白いですよね。ほら。こないだ東京のどっかで車ひっくり返したバカの動画が拡散されてましたね。それを見た時に、もちろん「何やっとんねんこいつら↘」と顔をしかめた方もいるでしょう。その一方で「何やっとんねんこいつら↗」と思わず笑ってしまった方もいるんじゃないでしょうか。だってあんなアホなこと見せられたら笑うでしょう。あ、いや、嗤うでしょう?アレの超規模の大きいバージョンですからね。あんなん何台車ひっくり返したって博物館なんか建ちませんよ。博物館建っちゃうぐらいのアホ行為ですからね。もはや祭り。アホ祭り。そんなアホ祭りの歴史を知り、資料を見聞きすることで、「人類」という壮大なアホを盛大に嘲笑うのがこう、、、楽しいですよね。というわけで今日は歴史上最大のアホ祭り会場、アウシュビッツに行こうと思いまーす。アウシュビッツアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所とは、ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策 (ホロコースト) および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容された90%がユダヤ人(アシュケナジム)であった。アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られた。周辺には同様の施設が多数建設されている。ユネスコの世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録した。公式な分類ではないが、日本ではいわゆる「負の世界遺産」に分類されることがしばしばである。一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。アドルフ・ヒトラー率いるナチス党政権下のドイツが行ったホロコーストの象徴と言われる「アウシュヴィッツ強制収容所」とは、1940年から1945年にかけてドイツが占領下においた現在のポーランド南部オシフィエンチム市郊外に作られた、強制的な収容が可能な施設群の総称である。ソ連への領土拡張をも視野に入れた「東部ヨーロッパ地域の植民計画」を推し進め、併せて占領地での労働力確保および民族浄化のモデル施設として建設、その規模を拡大させていった。地政学的には「ヨーロッパの中心に位置する」「鉄道の接続が良い」「工業に欠かせない炭鉱や石灰の産地が隣接する」「もともと軍馬の調教場であり、広い土地の確保が容易」など、広範なドイツ占領下および関係の国々から膨大な数の労働力を集め、戦争遂行に欠かせない物資の生産を行うのに適していると言える。また、次第に顕著となったアーリア人至上主義に基づいた「アーリア人以外をドイツに入国させない」といった政策がドイツ国内の収容所の閉鎖を推し進め、ポーランドに大規模な強制収容所を建設する要因にもなった。労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子供・老人、さらには「劣等民族」を処分する「絶滅収容所」としての機能も併せ持つ。一説には「強制収容所到着直後の選別で、70 - 75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれた」とされており、このため正確な総数の把握は現在にいたってもできていない。収容されたのは、ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、エホバの証人、さらにはこれらを匿った者など。その出身国は28に及ぶ。ドイツ本国の強制収容所閉鎖による流入や、1941年を境にして顕著になった強引な労働力確保(強制連行)により規模を拡大。ピーク時の1943年にはアウシュヴィッツ全体で14万人が収容されている。たとえ労働力として認められ、収容されたとしても多くは使い捨てであり、非常に過酷な労働を強いられた。理由として、1.ナチス党が掲げるアーリア人による理想郷建設における諸問題(ユダヤ人問題など)の解決策が確立されるまで、厳しい労働や懲罰によって社会的不適合者や劣等種族が淘汰されることは、前段階における解決の一手段として捉えられていたこと。2.領土拡張が順調に進んでいる間は労働力は豊富にあり、個々の労働者の再生産(十分な栄養と休養をとらせるなど)は一切考慮されなかったこと。3.1941年末の東部戦線の停滞に端を発した危急の生産体制拡大の必要性と、戦災に見舞われたドイツの戦後復興および壮麗な都市建設計画など、戦中と戦後を見越した需要に対し、膨大な労働力を充てる必要があったことなどが挙げられる。併せて、劣悪な住環境や食糧事情、蔓延する伝染病、過酷懲罰や解放直前に数次にわたって行われた他の収容所への移送の結果、9割以上が命を落としたとされる。生存は、1945年1月の第一強制収容所解放時に取り残されていた者と、解放間際に他の収容所に移送されるなどした者を合せても50,000人程度だったと言われている。すべての強制収容所は、ナチス親衛隊(SS)の全国指導者であったハインリヒ・ヒムラーによって、SSの下に集約されており、SSが企業母体となる400以上にも上るレンガ工場はもとより、1941・1942年末以降の軍需産業も体系化された強制収容所の労働力を積極的に活用。敗戦後は、SSのみならず多くのドイツ企業が「人道に対する罪」を理由に連合国などによって裁かれた。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』今日は手加減なしですねー。容赦ないですねー。読みました?長すぎて読めないですか?…読みなさいよ。知らなくていい事じゃないよほんと。今日は本編も長いですからね。でも読んで欲しいよね。人間のドアホウンコカス具合、ぜひ知ってもらいたいよね。もうまさに今書きながらテンションだだ下がりですよ。今日の記事を書くのにいったい何時間かかるんだろうか、、、(泣)とね。内容は重いし下手なこと書けないからちゃんと資料も確認しないといけないし文章って長くなればなるほど推敲にも時間がかかるんですよ。あ、そういえば〜。こないだクラクフの旧ユダヤ人街にある「シンドラーの工場」?あれ入場制限に引っかかって行けなかったじゃないですか〜。で〜。今日アウシュビッツ行くの夕方からなんですよね〜。だから〜。日中の〜。空いた時間に〜。シンドラーの工場にも行っちゃおうかな☆彡重ーーーーーーーーーーい。■■■ブログランキングに参加しています。■■■この下のバナーをクリックしていただくと、このブログのランキングが上昇します。ランキングが上昇すると、ブログ主のテンションが少し上がります。それだけです。変なサイトとかには飛びません。リンク先のサイトが読み込み完了しないとポイントが入らないくせにわりと読み込みに時間がかかります。ブログを読む前にクリックしておくと、読み終わった頃に読み込みが完了していてスムーズですね☆にほんブログ村シンドラーの工場はいシンドラーの工場です。前回は夕方に行って「チケット売り切れ」という博物館とは思えない理由で門前払いをくらったので、今日はお昼ごろにやって来ています。すでに結構な人が並んでいますね。シンドラーの工場入り口のディスプレイ入り口のディスプレイには「残り入場可能な人数」が表示されており、刻一刻とカウントダウンされています。1日何人入場出来るのか知りませんが、少なくとも今日は入場できそうです。シンドラーの工場チェコ出身のドイツ人オスカー・シンドラー。戦争を利用して一儲けしようとした彼がここクラクフで買収したホーロー工場。当初はユダヤ人を雇用していたのは単純に賃金が安いからだったみたいです。そんな彼が徐々に心変わりし、最終的に「工場の運営に必要な労働力である」として1,000人を超えるユダヤ人を虐殺から守ったのがこの工場。ナチスに要望を通すためにかなりの金額をロビー活動に費やしたとかなんとか。やらない善よりやる偽善だとは思いますが、最終的に英雄になるには資本主義からの脱却が必要だということなんですかね。どっかの社長が仮に何十億バラまいても映画化もされないし博物館も建たないと思うんだよね。シンドラーの工場そんな博物館の内部はナチス占領下におけるユダヤ人たちの生活ぶりやクラクフの様子を再現した展示がメイン。双眼鏡のようなものをのぞき込むものがあったり、あちこちから音声が流れていたりと見るだけではなく体験型の展示形式。シアタールームでは当時実際に命を救われたユダヤ人たちのインタビューや回顧などが映像(英語字幕付き)にまとめられて放映されていました。ぼくの英語力では字幕を理解仕切る前に次に進んでしまうのでアレでしたが。写真映えする感じでは無いので写真は少なめですが、見応えはあります。ただそれほど心が重くなるような内容でも無いです。まぁあのクラクフにあって唯一のポジティブな場所ですしね。今日のお昼もミルクバービルケナウはい。お昼ごはんを食べたらアウシュビッツにやって来ました。ここはアウシュビッツから2キロほど離れたところにあるビルケナウ収容所跡。歩き方には「第2アウシュビッツ」と紹介されていますね。アウシュビッツとビルケナウは無料のシャトルバスで連絡しています。アウシュビッツって予約が必要なんですよね。日中は各種言語によるガイドツアーが催行されていて、それの予約をしなくてはいけません。日本人のガイドさんも一人だけいて日本語でのガイドツアーもあります。ぼくが予約しようとした時は向こう2週間確認しても日本語どころか英語すら空きは無かったですが。で、日中を除いた早朝と夕方。ここはフリーエントラスでツアー以外の個人も入れます。しかも無料。というかアウシュビッツは基本無料なんですよ。ツアーに参加する時にそのツアー料金がかかるってだけで。予約に関しては他のサイトに詳しいのでそっちを確認してもらうと良いと思います。というわけで、ぼくはその夕方の個人で入れる時間の予約を取っているのですね。まぁ別に予約しなくても来て空いてたら入れたっぽいですけど。その入場時間が17時。その前にビルケナウを見てしまおう、ということで今ここに来ているというわけです。ビルケナウまぁビルケナウ着いたのがすでに16時で、シャトルの時間を考慮すると30分ぐらいしか滞在出来なかったんですが。ビルケナウ見渡す限りの広大な土地に建ち並ぶバラック小屋。あそこに大量のユダヤ人が収容され、強制労働に駆り出されていたそうです。一部のバラック小屋は当時の様子が再現されていて見学も自由だったみたいなのですが、30分で見るにはちょっと広すぎました。アウシュビッツまぁ今日のメインはアウシュビッツなので。ビルケナウもちゃんと見たいけど、そのためにアウシュビッツが見られなくなるのはダメだ。入り口のゲートで予約したチケットをスマホで見せたらさっくりと入れました。ここはガイド無しで来てもいいと思うのですが、ぜひガイドブックを購入しそれを見ながら回っていただきたいですね。日本語を始め各言語で書かれたガイドブックが売られています。ガイドブックぼくはこないだザコパネに一緒に行ったかなさん(その前にアウシュビッツに行っていた)から半額で譲っていただきましたのですけどね。このガイドブックに沿って進んでいきますよ、今日は。アウシュビッツ入口というわけで行きますか。アウシュビッツ。ちなみにこの門、「働けば自由になる」と書かれているそうです。良く言いますよね、ほんと。アウシュビッツさっきのビルケナウに比べると建物は大きくしっかりとした造り。数もそれほど多くなく全部で40棟ぐらいでしょうか。そのうちの28棟が囚人棟で、それらの内部が博物館として開放されています。ガイドブックに順路も記載されており紹介もその順路にそってされているので、大人しくその流れに沿って進んでいきましょう。第4棟各棟にはこのように入口に番号がふられているので迷うことはないと思います。この最初の4号棟がアウシュビッツで行われたことの概要がまとめられた棟。ちょっと詳しめにいきますか。だいたいの情報はガイドブックからの転載になります。アウシュビッツに集められたユダヤ人がヨーロッパのどこからやって来たかを示した地図えー、まずこのアウシュビッツ、少なくとも130万人ぐらいの人が強制的に連行されてきたそうです。少なくとも、です。戦争に負けそうになった時点でいろいろ処分しちゃったみたいで、正確な記録が無いんだそうですね。この時点でやっている本人たちも「これはアカン」と思っていたというのがバレてしまってますが。アウシュビッツにやって来た列車の模型ヨーロッパの各地からこういうコンテナみたいなのにすし詰めで運ばれてきます。セルビアとかにもアウシュビッツに送る前の人を集めるための強制収容所がありました。まぁそういう占領した国々で人狩りを行ってここに送り込んだ由。プラットフォームでの選別の光景到着した列車はプラットフォームにてやって来た人の選別が行われます。これは展示されていた、当時のナチスの親衛隊員が撮影した写真。選別の光景選別の基準は「労働力になるか、ならないか」。つまり男性と、女性・子供・老人・障害を持った人など、という分け方です。これらの写真から分かるのは、連れてこられた人々が自分たちがこれからどういう扱いを受けるのかをまったく理解出来ていないということですね。身なりもしっかりしている人ばかりです。労働力になると判断された男性は強制収容所に連れていかれます。それ以外の労働力にならないと判断された人たちが向かう先が、、、まぁ例のアレです。選別後の様子その例のアレに向かう人々の様子。写っている子どもたちも緊張はしていますが怯えた様子では無いですね。知らないんです、これからどうなるか。さっきの写真のタイトルこの写真のタイトルは「On The Way to Death(死への道)」。選別後のプラットフォーム選別が終わった後のプラットフォームの様子。やって来た人たちの荷物が集められています。ガス室先程の「The Way to Death」を通った人たちの行き着く先がこちら。そうですね。ガス室です。ツィクロンBで、これがそのガス。ちょっとガイドブックから引用しますね。親衛隊員は最後までアウシュビッツ強制移住のユダヤ人になにが待ち受けているのか気付かれないようにしておきました。収容所送りでも前もって消毒と洗浄しなければならないとしばしば彼らに言いました。死への選別された人々ー女性、子ども、男性ーはガス室へ誘導される前に服を脱がなければなりませんでした。その場所にはシャワーに見せかけたものが備えられ、脱衣場には長椅子と番号付きのハンガーがあり、それは洗浄後に自分の服をとって住居用バラックに行くと強制移住者に信じさせるためでした。親衛隊員がガスマスクをしてツィクロンBの間を開けシアン化水素を染み込ませた珪藻土の粒を撒くと、温度に準じてガスが放出しそこにいた人々を呼吸困難にしました。そして死体は焼却炉で焼かれました。引用元:アウシュビッツ強制収容所 案内書死体を焼却する様子で、全部終わった後の焼いている様子。「労働力となる」と判断されたのは平均して20〜25%ぐらいだったそうです。えー、つまりですね、約90万人ぐらいの方がここにやって来た日に殺された、ということですね。連れてこられた人の数ここに連れてこられた人の人種による内訳。ユダヤ人が最も多いですが、だからと言ってユダヤ人だけかというとそうでもないのです。130万人のうち110万人がこのアウシュビッツで殺害された、と書かれています。この4号棟の2階には、このアウシュビッツで唯一写真撮影禁止の部屋があります。そこにあるのは重量2トンにものぼる女性の髪の毛。なんでも、商業用の原料にするために集めていたみたいです。実際に戦時中はドイツ企業によってその髪の毛から生地やフェルトが製造されていたそうで、部屋の一角に人の髪の毛を原料にした織物も展示されています。まぁなんと言いますかね、存在感がすごいですよ。生々しいと言うか。人骨は割とどこででも見るんですが、髪の毛はね。骨は普段肉と皮にレイヤードされているので見えないですけど、髪の毛は普通に見えているじゃないですか。その辺の違いですかね。とにかくその存在感と量が圧倒的で引きました、だいぶ。ユダヤ教のお祈りに使うスカーフなべかばんくつ次の5号棟には、強制移送された人々の持ち物がまとめられています。何十万人もの人々が持ち込んできた日用品の数々。ガイドブックにも書かれていますが、これらのものから移送されてきた人々がここでどういう扱いを受けるのか理解していなかったことが窺われます。くつこんなんですからね。写真じゃ伝わりきらない量。ちなみにさっきの人の髪の毛もこんな感じでした。あの靴の下は上げ底であることを祈るばかりです。6号棟続きましては6号棟。こちらにはプラットフォームでの選別に残り、この収容所での労働を強制された人々の生活の様子が紹介されています。入って最初の廊下には、ここに収容された際に撮られた収容者の写真が端から端までずらりと並べられています。プラットフォームでの選別で生き残った彼らですが、ここに写真が掲げられている方は全員がこのアウシュビッツで命を落としたとのことです。選別で生き残ることが救いなのではなく、ここに移送された時点で彼らの運命はほぼ決まっていたということですね。強制労働はとても過酷で、今のブラック企業など可愛く見えるレベル。まぁブラック企業は許すまじですが。収容所での食事朝から晩まで長時間の重労働であるにも関わらず、与えられる食事は1日あたりこれだけ。1食あたりじゃないですよ。1日あたりでこれだけです。収容者用の寝床過酷な労働を終えて眠りにつくわけですが、その寝床がこんな感じ。わら敷の雑魚寝から徐々に3段ベッドに移行されていったそうですが、キャパシティを超える収容者数のためゆっくり休むことも難しかったと想像されます。収容者数に対して少なすぎるトイレなども問題だったとか。このような状況ですので、毎日バタバタと人が亡くなっていったそうです。10号棟こちらが10号棟。えー、この棟はですね、ナチスによる収容者に対する人体実験が行われていた場所です。またガイドブックから引用します。歴史解説1943年4月、この棟にドイツの産婦人科医カール・クラウベルグ博士の実験場が入りました。彼はここにいた数百人のユダヤ人女性に断種実験を行いました。収容所の書類には"実験用の女囚"と記されていました。実験中に死んだり死体解剖のために殺されたりしました。生還者の大半が付随になりました。被収容者を使った実験を他のSS(ナチスの親衛隊)医師もここで行いました。アウシュビッツの人体実験アウシュビッツの人体実験はSSやドイツ国防軍、ドイツ製薬会社の要請で行われたり、医師の立身出世に役立つものでもありました。とりわけこれらの実験に、大量断種や新薬の治験、潜伏期間制定目的のチフス感染、多胎児の実験、飢餓による人体器官の変化の研究がありました。ほとんどの手術は麻酔なしで行われたので犠牲者に苦痛をもたらし命運など考慮されませんでした。付随者と病人の多くは労働不能者としてガス室で殺されました。引用元:アウシュビッツ強制収容所 案内書ということが行われていた場所だそうです。で、ここは開放されていないんですよ。写真撮影じゃなくてそもそも立ち入りが禁止されています。たぶん何か出るんじゃないですかね。出ても全然おかしくないじゃないですか。11号棟中庭ー死の壁ーさきほどの10号棟と隣の11号棟の間にある中庭です。11号棟が監獄だったみたいで、そこに収監されている死刑囚をここで銃殺したそうです。中庭に面した窓両方の建物には、建物の中から処刑の様子が見えないよう窓は塞がれています。まぁ音は聞こえたと思いますけど。当時使われていた壁は戦時中にドイツ軍に破壊され、これは戦後再建されてものだそうで、あぁそれでここは入ってもいいし写真も撮っていいのね、って感じです。ちなみにこの前でタバコをポイ捨てしたおっさんは不慮の事故でアレすればいいのにと思いました。逆によくやると思いますよ、怖くないんですかね。20号棟はいここでぴゅーっと飛んで20号棟です。ここには治療室というものがありました。まぁもちろん我々がイメージする「治療」とはかけ離れたものであるのは想像に難くないですね。20号棟内の診察室ここもガイドブックから引用しますかねぇ。1941年8月に収容所用病院が患者で溢れかえったため、ドイツは病人をフェノールの心臓部注射で殺し始めました。既決囚を部屋へ入れ椅子に座るように命じると、SSの衛生兵は心筋に針を刺しました。数秒で死に至ったのです。殺害された人の死体は反対側の部屋へ運び、後で焼却炉まで荷車に乗せて行きました。ザモシチのポーランドの子供やユダヤ人被収容者の妊婦もフェノール注射で殺されました。引用元:アウシュビッツ強制収容所 案内書フェノール注射ってなんだ?と思ったので調べてみると、神経破壊薬と出てきました。麻酔のキツいやつって理解でいいのかな?心臓の筋肉にそんなの注射したら心臓が動かなくなりますね。まぁそういうことのようです。点呼広場敷地のほぼ真ん中にあるちょっと開けた場所が点呼広場と呼ばれる場所。ここで毎日朝夕に人数の確認のために点呼を行ったそうです。点呼責任者用番小屋これがその点呼を監視するための小屋。集団絞首台その点呼広場の前にあるこちら。絞首刑を行うための台です。脱走を企てたり、脱走者の手助けをしたと疑われた人などが見せしめのために点呼時に絞首刑に処されそうです。最大で12人同時に刑を実施出来るとかなんとか。収容所所長の処刑場敷地の端に、有刺鉄線で仕切られた区画があります。収容者ではなくこの収容所の管理部と司令部があった場所。この場所にはドイツの秘密警察(ゲシュタポ)の事務所があったそうで、そこで脱走工作の疑いのある収容者に拷問や尋問を行ったとか。その跡地に立っているこの処刑場。ここでは、この収容所の初代所長であるSSの大佐が戦後ポーランドの裁判によって有罪となり、この場所で絞首刑に処されたのだそうです。焼却炉敷地の外れの方にあるこちらが焼却炉です。死体を焼いた場所。中にも入れます。入りたくは無かったですが。もう流石に気持ち悪いですよ。陰鬱な気分になります。せめて今日が晴れていて良かったです。アウシュビッツこれらがガイドブックに記載された順路に沿って見学出来る内容のあらましです。この他にも特別展的な感じで、強制移住者を出身国別に分類し、ヨーロッパ各国でどのようなことが行われていたかが見学できる棟もあります。ただここまででだいぶ時間を使ってしまい、そろそろ暗くなってきたので見学できませんでしたが。暗くなってからここにいるのはちょっと本気で怖いです。同じ宿に宿泊していた日本人旅行者の方から「アウシュビッツのような黒歴史のある場所って、やっぱり 出 る ら し い で す よ」と脅されていましたので。まじ勘弁。ぼくそういう系のダメなんです。というわけで今日の日記はここで終わりますが、今日は「ぼくがどう感じたか」よりも「どういう展示がしてあったか」をメインに書いてみました。この場所が入場料無料で開放されている理由って、やっぱりこの残酷な人類の歴史をよりたくさんの人に知ってもらい、風化させないためにだと思ったんですね。人類はアホなのでどうせまたいつか同じような事を繰り返すわけですが、少なくともここに来てここでこの事実を知った人間は「こういうことしたらアカン」と思うハズなんですよ、知らんけど。ポイ捨て野郎もいるぐらいだから分からんけど。冒頭にも書いたけど、確かに見たしこういうのはアカンとは思うけどおれは知らん、みたいなヤツもいると思いますけど。ただここに来た大部分の人たちは「これはアカン」という思いを胸にするはずだと思うのですよ。で、ここに来たぼくが出来ることは何かなー、となった時に、もうありのまま拡散すれば良いんじゃね?という結論に至ったのですね。ほら、会社入った時言うじゃないですか。「経験の少ない新人の内は、自分のフィルターを通さず出来るだけありのまま報告すべし」みたいなの。経験の浅い内は自分の感想とか入れちゃうと事実と違う伝わり方をしてしまう、そういうのを防ぐ、みたいなヤツ。ぼくがここで変にチョケちゃうと、なんか妙な伝わり方しかねないですしね。こんなクソブログにも関わらず、毎日30人前後の方が見に来てくれているのですよ。そのうち何人の方がアウシュビッツに行ったことがある、もしくは今後の人生で訪れる機会があるか分からないですが、概ねの方はおそらく行くことは無いでしょう。そういう方たちが、ぼくのブログを読むことで少しでもアウシュビッツの空気を感じ、ここであった事実を知って頂くことが出来たのであれば、このクソブログを書いてきた甲斐が少しはあるというものじゃないですか。冒頭にも書いた通り、ぼくは人間というのは歴史上の過ちを平気な顔をして繰り返すアホだと思っていますが、文字という道具を持ち、歴史を後世に伝えることが出来るというのも人間の持つ特性のひとつであるわけです。今までの人類はアホでしたが、今後もアホであり続けるとは言い切れないわけで、これから賢くなった人類が同じ過ちを繰り返さないことの一助にこの記事がなればいいなと。またしても冒頭に書いた事なのですが、ここで「虐殺はアカン」で済ましてはいけないのです。この記事を読んでくださった方が、今日から少し世界に優しくなって頂ければ嬉しいですね。世界の人たちがお互いに少しずつ相手に優しくなれば、虐殺も起きないし戦争も起きないんじゃないですかね。そろそろ賢くなろうぜ人類、って感じ。別に相手を理解しろってわけじゃないですよ。これやったら相手は嫌がるだろうな、ってのをやめようぜってだけの話です。戦争も虐殺もその延長線上でしょ。相手が嫌がるからやるわけで。とりあえず反韓反中を煽っている輩は自らのクズさを恥じて欲しいですね。あっちにも半日を煽っている輩がいるのも事実なんでしょうけど。そっち方向にベクトルが向いてしまうといつか本当に戦争になりかねないじゃないですか。繰り返しになりますが、この記事を読んでくださった方のベクトルが、そっちじゃない方向、世界に優しくなる方向に少しでも向けばいいなー、と。まぁそんな感じです。だから冒頭の書き方が気に食わないとかそういうのはやめてください。炎上反対。このクソ長い記事を最後まで読んでいただいてありがとうございました。ランキング応援のクリックをお願いします↓にほんブログ村今日もありがとうございました。 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世界遺産の「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」に行ってきた(おそらく過去最長)
サイト名 William Dabadieの世界一周ブログ
タグ 世界遺産
投稿日時 2019-02-08 14:40:03

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アンコールワットとアンコールトム又バイヨン寺院及びタ・プローム寺院などに有名な観光スポットです。アンコールワット遺跡群のうちに訪れる観光客が...
アンコールワット日本語ガイドブンラットのブログ/アンコールワット現地ツアー
アンコール
2022-08-29 00:20:04

ラファエロ・サンティ フィレンツェ時代 三大巨匠 ミケランジェロとの関係とは? レオナルドとミケランジェロは不仲! ブリュージュの聖母 トンド・ドーニ 聖家族と洗礼者ヨハネ 聖家族とは?


「きらりの旅日記」
盛期ルネサンス三大巨匠は同時期にフィレンツで出会っているのですがお互いどんな感じだったのでしょうか〜三人は、その後ローマへミケランジェロ・ブ...
「きらりの旅日記」
フィレンツェ
2022-08-28 00:29:04

2006年06月 アンコールと首長族の旅part3 9/9最終章


あさとの飛行機で行く台湾・タイ・世界遺産と機内食の日記
翌日はドンムアン空港までタクシーで行き スターアライアンスの朝便で帰国したようです と言いますのは 次の写真を撮影したのが日本時間の午前11:...
あさとの飛行機で行く台湾・タイ・世界遺産と機内食の日記
アンコール
2022-08-24 14:20:04

ラファエロ・サンティ レオナルド・ダ・ヴィンチの絵をフィレンツェで見せてもらったのは、 未完成の岩窟の聖母 モナ・リザの素描


「きらりの旅日記」
ラファエロは、フィレンツェでレオナルドに会って絵を見せてもらったようですよどんな絵でしょうか?レオナルド・ダ・ヴィンチは・・・ウルビーノ出身...
「きらりの旅日記」
フィレンツェ
2022-08-24 00:29:03

ラファエロ・サンティ 当時のフィレンツェの様子とは? レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの作品に触れる ダヴィデ像


「きらりの旅日記」
ラファエロはフィレンツェで、レオナルドとミケランジェロの作品に触れて何を学んだのでしょうか当時の絵画作品は・・・まずもって、人物の表現が中心...
「きらりの旅日記」
フィレンツェ
2022-08-23 00:29:03

2006年06月 アンコールと首長族の旅part3 8/9


あさとの飛行機で行く台湾・タイ・世界遺産と機内食の日記
バンコクに着いてから夕方前 少し散歩に出かけました アジトのロイヤルオーキッドシェラトンの護岸には シープラヤという名の船着き場があります...
あさとの飛行機で行く台湾・タイ・世界遺産と機内食の日記
アンコール
2022-08-22 14:20:04

ラファエロ 聖母子像の伝説 フィレンツェ→ローマへ ラファエロ大人気の絵画! 小椅子の聖母 1513年〜1514年頃 酒樽の底に描いたのか? 版画として欧州の家庭に普及した作品


「きらりの旅日記」
ラファエロ・サンティの作品は、版画として欧州各地へ普及していって「伝説」も作り出されてしまうのですギャスケルの小説より私の会いました将校さん...
「きらりの旅日記」
フィレンツェ
2022-08-22 00:29:04

タプタプアテアのマラエ - フランス 世界遺産 写真・壁紙種


ネットで漂流 宝島さがし
早口言葉のような世界遺産は南太平洋のポリネシア(タヒチ)にあります。最も重要な祭祀遺跡=マラエがこのライアテア島にあるもので、ここから人々が太...
ネットで漂流 宝島さがし
世界遺産
2022-08-20 14:20:08

2006年06月 アンコールと首長族の旅part3 7/9


あさとの飛行機で行く台湾・タイ・世界遺産と機内食の日記
チェンマイで1泊した後はバンコクに戻り バンコクで1泊しました 勿論この1泊は休暇扱いですので自費になります なのでできるだけ安いホテルを選び...
あさとの飛行機で行く台湾・タイ・世界遺産と機内食の日記
アンコール
2022-08-19 14:20:05
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